お知らせ

祈るということ

2016.04.18

inori

信じ切る・お任せする・持ち通す

人は、自分の力だけではどうしようもないとき、神仏を頼り祈願をします。そして、願い事がかなうと「あぁ、ありがたい」とご利益を感謝し喜びます。

ご利益ばかりを期待する信仰心を「低俗だ」と否定する人もいるようですが、正しい信仰にはそれ相応の効果があって当然です。正しいご利益をいただいて、私たちの人生は一歩一歩前進していくのです。

祈り、それは生きる力を与えてくれる希望の光です。

◆必ずかなうと信じ切る

 

願い事をかなえてほしいと祈る以上は、信じ切ること、そして自ら祈ることが大切です。

日蓮御聖人は、「たとえば大地を指さしてそれが外れたり、大空を縄で繋ぎとめたり、海の潮の満ち引きが無くなったり、太陽が西から昇ったり、そんな起きるはずがないようなことが万一起こったとしても、法華経の行者の祈りがかなわないことだけはあり得ない」と仰せです。

その祈りが正しい祈りであれば、法華経の行者の祈りは必ずかないます。いたずらに私利私欲を煽るような祈り、他人の犠牲の上に成り立つような祈りは、正しい祈りとはいえません。

また、「法華経の行者の……」という点も大切です。具体的には、御法様を心から信じ自らお題目を唱える信者の……という意味です。心から信じていれば、必ずかないます。信じ切る心が大切です。経力・仏力・信力(お題目の力、仏さまの力、そして法華経の行者の信心の力)の三つが一つになって祈りがかなうのです。

 

◆結果はお任せをする

 

人は、「こうなるといいなあ……」と自分が思い描いた姿が実現したとき、祈りがかなったと思うものです。たとえば受験でいえば、「○○大学に受かるといいなあ」と。そう思って御法様に真剣に祈り、精一杯努力もし、当日も全力を出し切ることができた。それでも志望校に合格しなかったとします。そんなとき、「御法様には力がない」と御法様を疑ってはいけません。

そもそも自分が思い描いたことは、本当に最善の道なのでしょうか。限りある凡夫が乏しい経験から考えた道がベストかどうか。もしかしたら、別の道のほうが当人にとって良いことなのかもしれません。

御法様を心から信じて祈り、精一杯の努力をした結果は、御法様が最善の方向へと導いてくださる。これを「お計らい」というのです。

もちろん、願ったとおりにならなかった当座は、「なんで?」と心が揺れ動くものです。悲しくも悔しくもあるでしょう。しかし、そこを乗り越えてこそのご信心です。事実、ご信者の多くが、「あとから考えてみたら、あれこそ御法様のお導きだったと、本当に感謝している」と喜んでいます。そうやってご信心が一歩前進していくのです。

 

◆持ち通して成仏得道

 

ご信者の中には、医者が見放したような病気が治ったとか、交通事故を起こしたが無傷ですんだとか、不思議としか言いようのないご利益を得た人が大勢います。また、そういう目の覚めるようなご利益でなくても、仕事がうまくいった、人間関係が改善した……日々の生活がご利益の連続だと感じる人もいます。そういう目に見えるご利益を「顕益」といいます。その顕益の奥に、じつは「本当のご利益」があるのです。

私たちがご信心をお持ちできていることそのものが大きなご利益で、必ず「成仏得道」という最高の境地に至ることができます。これを「冥益」といいます。目には見えなくても、これが一番大きな根本のご利益なのです。

目に見えるご利益である顕益は、御法様の正しさを証明し、くじけそうになる私たちの弱い心を励ましてくれるものです。したがって、顕益をいただいたなら、御法様の正しさを実感し、ご信心を増進して最期まで持ち通す気概を強めなければなりません。

「信じ切る・お任せする・持ち通す」この三つを忘れずに、日々菩薩行の実践に取り組んでいくことが大切です。