お知らせ

おいしい水

2023.08.15

 背中に大きな瓶を背負い、まえかがみにな ったひとりのおばあさんが、峠の道上ってきます。美しい青葉のすきまから、初夏のお日さまが、おばあさんの日焼け顔のシワのみぞに汗をにじみださせています。

 

 息をはずませ峠にたどりついたおばあさんは、背負った瓶をおろし「ウーン」と背のびをし、トントンと腰をたたいて木の根っこに「ヨイショ」とを腰をおろしました。

 

 峠のふもとには息子が住んでいます。 頑固 で元気なおばあさんは、息子の心配をよそに 峠をはさんでひとりで暮らしているのです。 でも、ときどきあいにいきます。 今日もその 帰りです。

 

 お日さまがすこし西に傾きはじめました。 腰をあげたおばあさんは、息子にもらった瓶を大事そうに背負いました。 なかには搾りたての牛乳がいっぱいはいっています。 おばあさんは、大きく息を吸ってくだりはじめました。

 

 途中、赤い実をつけている木を見つけ、ひとつ口にいれました。木の実の甘さと香りが 口のなかいっぱいにひろがりました。いくら 元気でも峠をこえるのはとてもたいへんです。 おばあさんは、手ごろな木の枝をひろって杖にしました。

 

 しばらくして井戸のある一軒の家にたちより水をもとめました。 この家のお嫁さんはとてもやさしく、すぐに小さな器に水をいれて もってきてくれました。 汗ばんでのどがすっ かり渇いていたおばあさんは、口の端からポタボタとしずくをたらしながら、おいしそうに飲みました。 さきほど食べた木の実の甘さが、まだ口のなかにのこっていて、それが水 にとけてなんともいえない味がするのです。

 

 お嫁さんは、そのようなおばあさんを、 ふ しざそうにながめていました。飲みおわったおばあさんは

「なんとまあ、おいしい水なんじゃろう」

と、満足そうにお嫁さんにいいました。

「この水が?……そんなにおいしいのですか?……」

と、首をかしげました。 そのしぐさがおばあさんにはとてもやさしくみえました。

「あぁ、おいしいともおいしいとも、こんなおいしい水ははじめてじゃ。……それにな、おまえさんはとてもやさしい人じゃ」

と、のどがうるおい、疲れがとれたおばあさんの口は軽くなってきました。お嫁さんは顔をほのかなピンク色にそめました。 おばあ

さんは、背負っている瓶をおろしながら、

「息子がくれた搾りたての乳じゃ。どうかのう……そのおいしい水と交換してくれないかの……」

おどろいたお嫁さんは、

「えっ、この……お水とですか?」

「そうじゃ、こんなおいしい水ははじめてじゃ。 どうじゃろうな。 このとおりじゃ」

と、手をあわせてたのみました。

「…………」

「だめかのう、この乳ではだめかのう?」

と、すこし残念そうにいいました。

お嫁さんはこまってしまいました。この国では、そのまま飲んだり、いまでいうチーズのように加工して食べたりするのです。貧しい暮らしのお嫁さんは飲んだことも、食べたこともありません。 それをただの水を交換しようというのですから、正直なお嫁さんは返事ができず、本当にこまってしまったのです。 

「あのう……、このお水でよろしかったらいくらでもさしあげますか……」

「いやいや、ただでもらうわけにはいかんわい」

と、頑固なおばあさんは無理やりに交換をしてもらい、瓶一ぱいの水を背負いよろこび勇んで家に帰ってきました。

 

 おばあさんは瓶をおろすと、まちかねたように柄杓にくんで飲みました。ところが一ぱい 飲んでも二はい飲んでも、なんの味もしな

い臭い水だったのです。

「うん。これはどうしたことじゃ。これは変だ。わたしの口がどうかしたのじゃ」

と、村の人びとにきてもらい、わけを話して飲んでもらいました。

「ウェッ、変な味がして……臭くて飲めないよ。 この水どこからもってきたんだ」

そのとき村の長がいいました。

「ばあさんや、木の実を食べた口で飲んだときは、その甘さが水にとけておいしかったのじゃ。それにのう、汗をかいてのどが渇いておったからじゃ。……そうじゃろう」

 

 それを聞いたおばあさんは、自分の粗忽さがとても恥ずかしくなり、こんどは冷や汗をかいたということでした。