生かされていることの感動を実感
石田さん
父は42歳のときに事故で下半身不随になり、藁にも縋る思いで、
両親そろって浄風会に入信したのです。私が10歳のときでした。
それからというもの、私の家族は朝晩欠かさず、ご宝前に向かってお題目を唱えました。
父は日曜のお参詣に出たいがために必死でリハビリに励み、
ついには杖をついて歩けるまでに回復しました。その信仰心はぐらついたことはありませんでした。
そんな環境で育った私は、常にご法様が守ってくださるという思いを無くしたことはありません。
20歳のころ、私は東京でOL生活を送っていました。
新宿の四畳半のアパートには、当時、浄風会の青年部の皆さんがよく集まり、朝まで信仰談義に花を咲かせたものでした。
お講席のときなど、当時はお金がなくて、なんのもてなしもできませんでしたが、
茹でた白菜の芯にドレッシングをかけたものを、皆さん、おいしそうに召し上がってくださいました。
ある冬の寒修行(早朝参詣)のときなど、皆さんとアパートで朝まで話し込み、
そのまま夜明け前の東京の町を、道場のあった飯田橋まで歩いて行ったこともありました。
なぜか寒さも感じず、約10キロの道のりも、遠いとは思いませんでした。
信仰というものは、仲間の皆さんに支えられて高まっていくものだということを実感したものでした。
私と同い年の、大学を卒業したばかりのビジネスマンだった主人(一さん)と出会ったのは、
そのころでした。主人の父親は26歳で戦死しましたので、主人は父親の顔を知りません。
母親もまもなく再婚し、主人は親戚の家を転々として育ったのです。
生まれながら孤独癖をもった主人を、私はどこか不憫に思ったのかもしれません。
出会って間もなく結婚した私たちは、将来、二人で何か事業を始めようと決意し、
そのためのまとまったお金を貯めようと、新潟県のレジャーセンターに二人で住み込みで働くことにしました。
丸ノ内の一流企業に勤めていた主人は、会社を辞めることに何の躊躇もありませんでした。
思うようにお金は貯まりませんでしたが、二人で将来の夢を語りながら、それはそれで楽しく充実した日々でした。
その職場で慰安旅行に行ったときのことでした。
その瞬間の状況は見ていなかったのですが、主人が右腕の動脈をガラスの破片で深く切ってしまったのです。
お酒が入っていたこともあって、血が勢いよく噴き出し、なかなか止まりません。
死ぬのではないかと思い、救急車の中で私は必死でお題目を唱えました。
おまけに、着いた先の病院の医者は、真っ赤な顔をして、酒臭い息を吐き、動作も緩慢で、
単に酔っているというよりも、あきらかに酩酊しているように私には見えました。
しかし、真夜中のことで、そこしか病院がなかったのです。そのときは絶望的な気持ちになりました。
ところが、その医者がメスを執ると人が変わったように動きが機敏になり、
切れた血管を一本一本ていねいに縫い合わせ、見事に手術を成功させてくださったのです。
その瞬間、医者が仏さまに見えました。このときほど信仰の奇跡を感じたことはありません。
主人の右腕は使えなくなりましたが、生きていることがこんなにありがたいこと、
生かされていることがこんなに感動的なことだと感じたこともありませんでした。
その後、二人でラーメン店を始めようと、私の郷里にもどり、三年間の修業を経て、実家の近くに店を出しました。
幼くして両親と離別した主人は、そうした人生の不条理に思うところがあったのでしょう。
学生時代はキリスト教研究会に入っていました。若いときは浄風会の青年部の人たちとも、
ずいぶん激論を交わしたものです。もちろん今では浄風会の堅信な信者になっています。
けっして平坦ではなかったこれまでの人生を、二人で乗り切ってきたところに、
ご法様のご加護があったことはまぎれもない事実なのですから、ますそのことに感謝したいと思っています。
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