会長のことば

会長のことば

会長紹介

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在家日蓮宗浄風会 第四代会長
泰永二郎(やすなが・じろう)

1950年(昭和25)群馬県に生まれる。先代の鈴木基靖師より薫陶を受け、1987年(昭和62)浄風会第4代導師会長に就任。「社会に生き、社会を活かす」「暮らしの中に信仰を」をスローガンに、執筆・講演活動を精力的に行い、同時に会員(信者)一人ひとりとの接点を大切にしています。

衆生の心汚るれば土も汚れ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。ただ我らが心の善悪によると見えたり。

(日蓮聖人のお言葉)


今という時代は、地球規模で、またあらゆる分野において、決して容易な時代ではありません。それらの社会不安や世界危機の根本原因は、つまるところエゴイズムという心の病に冒されているということに帰着するでしょう。
私たち浄風会は「社会に生き、社会を活かす」と標榜し、日蓮聖人の教えの実践をとおして信者一人ひとりの心を磨き、厳しい社会の現実に向き合いながら、真に意義ある人生を歩むことを目指しています。同時に、この教えの実践者が増えることによって、やがてはこの汚れた現実社会が安心・平和な浄土となる日が必ず来ると信じ、その実現に向かって日々活動しています。
みなさまが、日蓮聖人の教え・浄風会の信仰について、興味をお持ちいただければ幸いです。

泰永会長の法門・エッセイ

■親から親へ溯るといったい何人の血縁?

「一念三千」という難しい教えをもとに、分かりやすく実践的にお話したいと思います。
一念三千とは、法華経の不思議な最高の教理のことで、天台大師(中国の僧・天台宗の開祖〈536~597〉が名づけたものです。私がここで一念三千に関連して、お話したいテーマを先に言ってしまえば、「自分の人生は、自分だけのものではない」、「一人で生きているのではない」ということです。
今の世の中は、非常に利己的になり、なんでも自分さえよければそれでよい、といった風潮がはびこっています。日常的生活でも、自己主張ばかり強く、人の立場をおもいやるとか、人と人の関係を大切にするといったことが、薄れていると思います。しかし、人間は決して一人で生きているのではありません。必ず、人と人のつながりの中で生活しています。
たとえば、どんな人でも、父親と母親が必ずあって、自分が生まれてきています。その両親にもまた、それぞれ親があり、その親にもまた親がいる。それをどんどん溯っていくと、どうなるでしょう。いま、二十五歳で子供が生まれたと仮定すれば、二十世代前まで溯れば、約500年前、西暦1400年代になりますから、室町時代にあたります。この500年前まで親から親に溯るといったい何人の血縁になるかというと、驚くことに1,048,576人になります。こうして計算していくと、三十世代前になると多分「億」を超えるのではないでしょうか。計算上ではみんなが「親戚」になってしまう。
自分という人間の存在は、こうして受け継がれてきて、今日の自分があるわけです。一見ばかげた話のように聞こえますが、これだけを考えてみても、人生は、自分だけのものではなく、一人で生きているのでもない」 ということが分かると思います。(下略)

エッセイ「人は一人で生きてはいない」より(『法門 下』所収)

■楽しいだけではない人間の一生

人間は誰でも「苦」を背負って生きています。他人の目から見れば、一見なんの苦労もない幸福そうな人でも、内実は、決してなんの悩みも苦しみもないという人はいないでしょう。
しかし、中には毎日が楽しくて仕方がないという人もいるでしょう。お金には困らず、おいしい食べ物はいつでも食べられ、海外旅行にも手軽に出掛けられ、国内リゾート地でのテニスやゴルフや温泉には恰好のいい車を飛ばして行けます。「人生が苦だなんて、考えたこともありません」と言うかも知れません。
本当にそうでしょうか。現代の若者が、もし苦しいと思っていないとすれば、豊かな経済社会で物欲が割合に簡単に適えられることによるもので、人間の本質的な苦から目をそらした単なる無自覚なものに過ぎないと思います。このことは、自分のことでも、周囲の人たちのことを少し考えてみればわかります。
人間は誰でも、一生をただ楽しいだけで過ごしていけるものではありません。人間が生きていくこと自体が、実は「苦」に満ちているのです。本人が自覚しようがしまいが、人間世界は苦しみに満ちているのです。「人生は苦しいんだ」というそのことをまず認識させるところから始まって、次にその苦しみをどうしたら「楽」に転化できるか、その道を説くのが仏教なのです。(下略)

エッセイ「人生、あるがままに生きる」より(『法門 下』所収)