1月
2025年
ご信心における心と形の関係
『礼煩わしければ即ち乱る』
ご法門の導入部分にしばしば中国の古典のことばを引用することがあります。
今日は、孔子が編纂したと伝えられている『書経』のなかの、
『礼煩わしければ即ち乱る』という言葉を紹介いたします。
ここでいう「礼」とは、社会秩序を保つための生活規範のことです。
その規範を形に示したものが「儀」で、ふたつを合わせて「礼儀」といいます。
今日では礼儀といえば行儀作法のように思われていますが、
例えば親を敬う、老人を大切にする、そういう敬愛の心が大事で、
それを形に表現することによって心を伝え合い、
社会秩序を保とうというのが孔子の「礼」なのです。
「礼」と「儀」が調和して初めてそこに意味があるんだ、というのが孔子の教えです。
ところが、そういう本来の意味がだんだん薄れると、
心を置き去りにして形式ばかりが独り歩きするようになります。
すると、却って秩序を乱すことになるというのが『礼煩わしければ即ち乱る』なのです。
今日のご法門はその「心」と「形」の関係についてのお話します。
孔子の「礼」は、要するに「心」と「形」が一つになることが大事だと言っているわけですが、
結果的にひとつになるにしても、物事には順序というものがあります。
形を整えると心が育ちます。心が育てば自然と形に現れます。
現れた形がさらに心を育てて、ますます形が整っていく。
この善循環で心と形は次第に本物になっていくのですが、
ではその始まりは「心」なのか「形」なのか。
『鶏が先か、卵が先か』という話ではありませんが、この場合は先ず「形」から始まります。
剣道・柔道・弓道・華道・書道・茶道と、「道」と名のつくもはたくさんありますが、
初心者は、先ず形を整えることを教わります。
そして、一生懸命に形を習うことを通して、その奥にある心が育っていくのです。
目的は心を育てることなのですが、心は形を抜きにしては育つものではありません。
心が育ってくると自然に形に現れてくる。心と形は、ういう関係にあるのです。
このことはご信心の面においても重要です。
ご信心も「仏道」といいます。ですから心と形の関係はまったく同じで、先ず形から入るのです。
具体的には、ご宝前のお祀り、お給仕、お看経の次第や所作などの決め事があります。
あるいはお参詣や各種のご奉公の実践においても形から入るわけですが、
究極を言えばお題目を口に唱えるという、この一点に絞ってすべてが始まります。
ご信心を人にお勧めしたときに「信じられたら、唱えます」と応える人がいますが、
そんなことはまず期待できないこと。
唱えなければご信心は起こらないのです。
よくわからなくても、今は信じられなくても、それでもまずは唱える。
そうやって唱え重ねていって、やがてご信心が育っていき、そうなれば自然に形も整っていく。
細かい作法・決め事などにとらわれなくても、自然と形に現れるようになってくるものです。
これがご信心における心と形の関係なのです。