2月
2026年
異体同心の縁に生きる幸せ
ご信心は何のためにしているのでしょうか。ともに信行に励むことにはどういった意味があるのでしょうか。
私は役割柄、ご信者からご信心についてのご質問をいただくことがあります。なかでもよくご質問いただくのが「ご信心は何のためにするのですか?」という問いです。皆さんなら、どのようにお答えになるでしょうか。
私はいつも、「ご信心は幸せになるためにするのです」とお答えしています。
もちろん幸せのあり方は人それぞれです。また、世代や時代によっても大きく異なります。たとえば高度経済成長の時代には、物質的な豊かさが幸福の基準でした。そして、戦後の厳しい時代を歩んでこられた先人の努力によって、日本は奇跡的な復興を遂げ、世界有数の豊かな国となりました。
しかし、現在の日本人の幸福度は、けっして高いとは言えません。2025年の調査では、148か国中55位。これは、物の豊かさだけでは人は幸せになれないという事実を示しています。
アメリカのハーバード大学が80年にわたり、人の「幸福」について研究した結果によれば、幸福とは「良い人間関係」であるとされています。
すなわち、「同じ志を持ち、お互いに信頼し合える他者とつながり、頼り頼られて生きること」。こうした良好な人間関係こそ、人の幸せに大きく関わるということです。
この説に触れたとき、私は真っ先に浄風会のことを思い浮かべました。「同じ志を持ち、互いに信頼し合い、支え合う」――これは、まさに浄風会のご信者の姿そのものではないでしょうか。
同じ志を持つご信者のことを、ご信心では「異体同心」といいます。異なる身であっても、心を同じくして大願を成し遂げようとする者たちの関係を表す言葉です。そしてハーバード大学の研究を踏まえるなら、この異体同心のつながりそのものに、人としての幸せが息づいているといえます。
浄風会という「ご信心の共同体」には、ほかにはない特徴がいくつもあります。
1つには、御法様の前では、ご信者は皆が平等であること。また、利害や損得を越えた関係でもあります。
2つめは、ご信者同志のつながりは、お互いがこのご信心を持ち続けるかぎり、生死を超えて未来永劫に続く関係です。
日蓮聖人が『上野殿御返事』に、「このご信心を持つ人は、たとえ他人であっても、共に霊山浄土へ参詣し、そこで巡り会うことができる」と示されているところです。かつて「ゆりかごから墓場まで」というキャッチコピーがありましたが、ご信者同志のつながりは、墓場どころではなく未来世までも続きます。
そして3つめの特徴が、折伏し合える関係であることです。さまざまなハラスメントが問題視される現代では、他人に厳しい言葉をかけにくい時代ですが、ご信者同志は相手の幸せを願う心から、ご信心の道を外れたときには折伏し合うことが大切です。
自分が折伏をするときには、どんなことであっても陰で言わず、必ず本人に直接伝えること。陰で言うとそれはただの陰口になってしまいます。また、自分が折伏を受けたときには、けっして腹を立てるのではなく、ありがたく受け止める心が肝要です。
きょうは、人にとっての幸せとは「良い人間関係」であること。そして、浄風会はその幸せを体現しているということをお話しいたしました。
1月
2026年
あれもご利益、これもご利益
「あれもご利益、これもご利益」という感性を持つことは、ご信心を深めることにつながっていくのです
最近、若い女性の間で神社やお寺がパワースポットとしてブームだと聞きます。
昔は神仏に祈るといえば、商売繁盛・病気平癒・恋愛成就・合格祈願など、具体的な願い事を祈ったものですが、パワースポットのブームには単純な神頼みと違って、一応の合理的な理屈があるらしいのです。
それは、地球には本来強力なエネルギー(気)が存在していて、それが集中している場所がある。そこに行けば自分もそのエネルギーをもらって、癒され・自信が持て自分を変えられる、との理屈だということです。
そんな場所を神社仏閣に求めるというところは、昔からの神頼みのご利益信心と大差ないように思えます。そういうと、ご利益を求める信心は低俗な迷信のように聞こえるが、必ずしもそうではありません。
正しい宗教には、必ず正しい道理と確固たる裏付けがあり、それを正しく実践する信者には、必然的に相応の現証利益が、間違いなくあるのです。
法華経の利益には顕益(けんやく)と冥益(みょうやく)の二つがあります。顕益は形に現れた利益で、冥益は目には見えない、自覚できない利益のことです。顕益は誰もがイメージできますが、冥益は分かりにくいかもしれません。
信者の人生といえども、晴れの日ばかりではありません。雨の日もあれば風の日もあります。また、我われの周囲には、欲心を煽り怠け心を誘うものの何と多いことでしょうか。
そんな日常の中で、よくぞお題目に出会い、しかも今日まで手放すことなく来られたものだ、有難いことだと、振り返ってみてそう思います。皆さんも同じ思いでしょう。
この、お題目に出会い今日まで持ち通せたこと、これこそが実は最大のご利益なのです。
毎日毎日、お題目の大慈大悲の光に包まれていたからこそ、今の自分がある。我々は、お題目から離れない限り、間違いなく信心増進、成仏得道に向って着実に歩んでいます。でも、それはなかなか見えないし、自覚できません。これを冥益といいます。冥益こそがこのご信心の究極のご利益なのです。
しかし、自覚できない利益ばかりでは、張合いがありません。
信者とはいえ凡夫ですから、時には信念が揺らぐことがあるかもしれません。そこに、目に見えて直接実感できる顕益があると、目に見えたご利益によって、初めてお題目の尊さを実感し、信心を増進することができるのです。
どちらも大事な法華経修行の結果なのですが、冥益こそが根本のご利益です。そのことを自覚するために顕益があります。この関係をよくよく承知しておいていただきたいと思います。
当会の初代会長・秋尾先生が詠まれた歌に
「信心にいつも心が春めきて あれもご利益これもご利益」
とあります。
ご利益と思えるかどうかは、実はその人の主観ですが、このお教歌にある「何でもご利益」と思う感性が、実はとても大事です。
こういうご利益の受け止め方が、我われの信心をより深めていきます。そして、信心が深まれば、感性はますます磨かれていくのです。
そうやって一歩一歩成仏得道に近づいていく。そういう感性を、みなさんぜひ磨いていただきていと思います。