1月
2026年
あれもご利益、これもご利益
「あれもご利益、これもご利益」という感性を持つことは、私たちのご信心を深めることにつながっていくのです
最近、若い女性の間で神社やお寺がパワースポットとしてブームだと聞きます。
昔は神仏に祈るといえば、商売繁盛・病気平癒・恋愛成就・合格祈願など、具体的な願い事を祈ったものですが、パワースポットのブームには単純な神頼みと違って、一応の合理的な理屈があるらしいのです。
それは、地球には本来強力なエネルギー(気)が存在していて、それが集中している場所がある。そこに行けば自分もそのエネルギーをもらって、癒され・自信が持て自分を変えられる、との理屈だということです。
そんな場所を神社仏閣に求めるというところは、昔からの神頼みのご利益信心と大差ないように思えます。
そういうと、ご利益を求める信心は低俗な迷信のように聞こえるが、必ずしもそうではありません。
正しい宗教には、必ず正しい道理と確固たる裏付けがあり、それを正しく実践する信者には、必然的に相応の現証利益が、間違いなくあるのです。
法華経の利益には顕益(けんやく)と冥益(みょうやく)の二つがあります。顕益は形に現れた利益で、冥益は目には見えない、自覚できない利益のことです。顕益は誰もがイメージできますが、冥益は分かりにくいかもしれません。
信者の人生といえども、晴れの日ばかりではありません。雨の日もあれば風の日もあります。
また、我われの周囲には、欲心を煽り怠け心を誘うものの何と多いことでしょうか。
そんな日常の中で、よくぞお題目に出会い、しかも今日まで手放すことなく来られたものだ、有難いことだと、振り返ってみてそう思います。
皆さんも同じ思いでしょう。
この、お題目に出会い今日まで持ち通せたこと、これこそが実は最大のご利益なのです。
毎日毎日、お題目の大慈大悲の光に包まれていたからこそ、今の自分がある。我々は、お題目から離れない限り、間違いなく信心増進、成仏得道に向って着実に歩んでいます。でも、それはなかなか見えない。自覚できません。これを冥益といいます。冥益こそがこのご信心の究極のご利益なのです。
しかし、自覚できない利益ばかりでは、張合いがありません。
信者とはいえ凡夫ですから、時には信念が揺らぐことがあるかもしれません。そこに、目に見えて直接実感できる顕益があると、目に見えたご利益によって、初めてお題目の尊さを実感し、信心を増進することができるのです。
どちらも大事な法華経修行の結果なのですが、冥益こそが根本のご利益です。そのことを自覚するために顕益があります。この関係をよくよく承知しておいていただきたいと思います。
「信心にいつも心が春めきて あれもご利益これもご利益(日真大徳)
ご利益と思えるかどうかは、実はその人の主観ですが、このお教歌にある「何でもご利益」と思う感性が、実はとても大事です。
こういうご利益の受け止め方が、我われの信心をより深めていきます。そして、信心が深まれば、感性はますます磨かれていくのです。
そうやって一歩一歩成仏得道に近づいていく。そういう感性を、みなさんぜひ磨いていただきていと思います。