今月の教え

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2026

ご信者の人生は生きた法華経

法華経のお題目をお唱えする信仰を支えにすること。それが、善き日常生活を送ることにつながります。

◇因と縁
春になって、暖かくなってくると自然に気持ちも春めいてきます。先日の新聞の投書欄にこんな記事がありました。大阪府の医師の方からです。

一時帰国中の長女とお昼を食べ、大阪駅でバスを待っていた時のことです。近くで沖縄の基地建設に反対するビラ配りをしている高齢の女性に目が止まりました。
「沖縄の方ですか?」と声をかけると、岡山出身で大阪在住の81歳だとの答えです。
(中略)話を続けていると、女性から「あなたは、心はどこにあると思いますか」と問われたのです。
答えに窮した私に女性はこう語りました。「こうして話しているあなたと私の間に生まれるのが心なんですよ」
一方的な主張だけでは、心は生まれない。なるほど昨今の世の中は、まさしく「心ない状態」に陥っているのではないだろうか。
そう感じさせられたひとときでした。何かを伝えたいなら、相手の話にも耳を傾ける。そこに生まれる心を大切にしていきたいと思います。

こういう時代ですが「心」について問う人もいて、また「心」を問われて深く感じる人もいるんだなと、あらためて気づかせてくれるほのぼのとした投稿でした。
人と人が言葉をかわし、そこに触発されていろいろな心(思いや感情)が生まれてくるわけです。これを仏教では「縁」といいます。

一方、共鳴したり反発したり、喜んだり泣いたり……人間の心を「因」といいます。好いことも悪いことも、この因と縁が和合して物事が展開していくのです。そういう人間感情の先に平和も戦争もあり、浄土も地獄もある。みんな人間の心によってあるわけです。

しかし、誰しも平和や幸福を願いながら、その心は時や環境や立場によって善くも悪くも変わっていきます。人生には良かれと思っても、自分の思ったとおりにいかないことが多いものです。自分自身の心さえ、一時の感情に押し流される場合もあります。「つい、カっとなって」とか、「つい、むらむらと」とか、その人によって言い方や行動に傾向はありますが。いずれにしても、縁によって因が引き出されてくるのです。

◇真実の功徳力
この、「因」の持っている良い面を引き出す「善縁」と、悪い面を引き出す「悪縁」があるわけですが、人間界は迷いの世界ですから、善でも悪でも根本的には迷いのうちにあるのです。

一時的に善縁であってもその良いことがいつまでも続くことはありません。あっちへ転がり、こっちへ転がり……迷いのうちにある人間に、本当の主体性はありません。したがって、本当の人生も生き方もないのです。これを「六道輪廻」といいます。

転生しても転生しても迷いの世界すなわち六道輪廻のうちです。「六道輪廻」も「転生」も仏教用語ですが、その迷いの世界を脱して真の人生を得るために仏教は説かれました。

その仏教の究極の真実として説かれたのが根本善の「妙法蓮華経」です。
この「妙法蓮華経」を耳に聞くことを根本の善縁として、ご信心をしっかり持つこと。そのことによって、人生は生まれ変わり死に変わりしながら魂に仏の種を植え自身の成仏とともにこの世界を寂光浄土にしていく、本当に意味のあるものになっていくのです。

四十余年という長い方便の教えが説かれたあと、真実の一法「妙法蓮華経」が説かれる直前に、その露払い(開経)として説かれた「無量義経」が説かれます。

そこには、真実の教えのもつ数々の不思議な功徳力が説かれます。その功徳力の、一番初めは「浄心不思議力」です。

浄風会の「浄」に「心」と書いて「浄心不思議力」です。これは具体的にどういうことかというと、この経は人々の眠っている仏心を呼び起こし、慈しみの心のない者には慈しみの心を呼び起こし、殺戮を好む者には憐れみの心を起こさしめ、嫉妬深い者には随喜の心を起こさしめ、執着心の強い者には諦めの心を起こさしめ、貪りの心の強い者には施しの心を起こさしめ、慢心の者には謙虚な心を起こさしめ、怒りっぽい者には耐え忍ぶ心を起こさしめ、気の散漫な者には集中する心を起こさしめ、愚痴多き者には智慧の心を起こさしめ……という具合にこの真実の一法・妙法蓮華経は人々の浄らかな心を呼び起こす不思議な力をもっている。お題目をお唱えしながら、個性のままに人格が磨かれていくのです。

その「妙法蓮華経」では首題・題目が示されたあとに、「如是我聞(にょぜがもん=仏さまのお言葉を私はこのようにお聞きしました)」という言葉で六万九千三百八十四文字といわれる経文が展開されていきます。

日真大徳はそのことをお教歌にこう詠んでおられます。
「如是我聞(にょぜがもん) 昔のことと思うなよ 我等信者のうえのことなり」

平凡なように見えても、法華経をお持ちするご信者の人生は皆、「生きた法華経」なのです。人は皆、ほんとうは「仏さまの子」なのです。
共にそのようにご感得させていただき、日々のご信行に励んでまいりましょう。 合掌

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2026

ミツバチに倣う

ミツバチは、その短い一生をかけ蜂蜜を集めます。私たちの一生で何ができるか考えてみましょう。

先日、岩手に住んでいます知人から、ハチミツを2瓶、頂きました。私が講師という、「喉を使う仕事」をしていることを知っていますので、毎年送ってくださるんです。
そのハチミツのお陰で、喉もとても調子がよく、順調に仕事を続けることができています。とても、ありがたいなぁと思っております。

ところでそのハチミツですが、先日クイズ番組で、こういう問題が出されました。

「スズメバチも、ハチミツを作るのかどうか?」

そういう問題です。皆さんでしたらどうお答えになりますでしょうか? 「スズメバチも、ハチミツを作るのかどうか?」、答えは「NO」です。ハチミツは蜜蜂だけが作るんですね。

ではその蜜蜂ですが、蜜蜂の一生って、だいたいどのくらいの長さか、皆さんご存知でしょうか?
ネットで調べてみましたところ、働きバチは、長くてもだいたい3カ月くらいしか生きないそうです。

そしてそのネットの記事には、こんなことも書かれていました。

「1匹の蜜蜂は、一生かけて、どのくらいの量のハチミツを作るのか?」

皆さんどう思われるでしょうか。

その答えですが、実は、蜜蜂が一生かけて作るハチミツの量は、なんと、スプーン一杯程度だそうです。少ないんです。

私がそのハチミツを頂く時は、大きなスプーンで2、3杯を口に入れていますが、その1回で、いったい何匹の、蜜蜂たちの、一生に亘る努力をいただいているのか。そう思いますと、本当にありがたく、蜜蜂たちに感謝しなくてはいけないなぁと、その記事を読んで思いました。

ご法門の本題に入りますが、日蓮御聖人は『諸法実相抄』という御書に、このように仰っています。

「日蓮一人、はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と、次第に唱へつたふるなり」
(最初は、日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱え始めたけれども、それが二人、三人、そして百人と、次第に唱え伝わるようになってきた)

そういう内容です。さきほどのお看経では、皆でお題目を、お唱えいたしましたけれども、このお題目も、最初は御聖人たったお一人から始まったんですね。

それが800年近く経った現在、御聖人をはじめ、多くの先人たちのご努力のお陰で、仏様の慈悲の結晶であるお題目を、みんなでお唱えすることができるようになりました。
もし、御聖人がお出ましにならなかったなら、このお題目をお唱えすることはできないんです。

仏教というものは修行が付き物です。「仏道修行」と言います。この修行というのは大きく分けますと、「坐禅」系と「唱える」系の、2つに分けることができます。坐禅というのは、座って瞑想する修行です。唱える系というのは、南無阿弥陀仏や、あるいは私たちの南無妙法蓮華経です。私はありがたいなぁと思うのは、お題目ですとご回向ができます。つくづく「お題目でよかったなぁ」と思います。

80億という人口から見ましたら、まだまだお題目のご信心をする人は多くはありません。しかし、いまの日本で、南無妙法蓮華経というお題目を、一度も耳にしたことがないという方も、いないのではないかと思います。
そこまで広まったお題目も、初めは日蓮御聖人たったお一人からスタートしました。ほんとうに有難いことであります。

ただ、私たちは「素晴らしいなぁ・・・」と、有難がっているだけで、いいのでしょうか?

さきほど祈願文の中で、「弘通広宣ならしめ給え」、とお導師が言上くださいました。「御弘通が行われて、広宣流布が叶いますように」という意味ですが、当然のことながら、何もしないで、放っておいて、自然に広宣流布がなるわけではありません。

やはり、私たち一人ひとりが、御法様の手足となって、自分の身うちや友人・知人に、お伝えしていくことをこころがける。前席にもありましたが、そうしないと、そこでこの尊い教えが途絶えてしまうのです。

そうは言うものの、お教化は簡単ではありません。そのことは私も痛いほどわかっています。

先日、こんな経験をいたしました。ずいぶん前に、私はある友人をお教化いたしました。その人は、御本尊も拝受し、お題目中心の生活を行うまでに至りました。

しかしその人から、「自分は今、誓文の“無始已来謗法罪障消滅”とお唱えすることができない。この御文はとてもキツく感じるんだ・・・」。そう言われたんです。私はとてもショックでした。いまは、少し様子見をしている状況です。なんとかまた、ご信心に戻ってきてほしいと思っています。

いま友人の例を申し上げましたが、お題目を一生かけてお持ちし・続ける、そういうご信者を育てることは簡単ではないんですね。

私たちは、御聖人や、あるいは門流の先師たちのように、多くの人をご信者にすることはできません。冒頭で、一匹の蜜蜂が、一生かけて、たったスプーン一杯のハチミツを作るというお話をいたしました。

蜜蜂に比べましたら、私たち人間は70年、80年と長い寿命がありますけれども、しかしこれも、仏様の五百億塵点劫という寿命から見ましたら、蜜蜂とほとんど変わりません。とても短い人生です。

蜜蜂が短い期間ですが、懸命に働いて、誰かの役に立つハチミツを作るのと同じように、私たちも一生かけて、一人でも二人でも、ほんの僅かであっても、一緒にご信心の道を歩む、仲間を作っていく。そのことが、大切だと思います。
お互いに明るく、前を向いて、頑張って参りましょう。

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2026

異体同心の縁に生きる幸せ

ご信心は何のためにしているのでしょうか。ともに信行に励むことにはどういった意味があるのでしょうか。

私は役割柄、ご信者からご信心についてのご質問をいただくことがあります。なかでもよくご質問いただくのが「ご信心は何のためにするのですか?」という問いです。皆さんなら、どのようにお答えになるでしょうか。
私はいつも、「ご信心は幸せになるためにするのです」とお答えしています。

もちろん幸せのあり方は人それぞれです。また、世代や時代によっても大きく異なります。たとえば高度経済成長の時代には、物質的な豊かさが幸福の基準でした。そして、戦後の厳しい時代を歩んでこられた先人の努力によって、日本は奇跡的な復興を遂げ、世界有数の豊かな国となりました。
しかし、現在の日本人の幸福度は、けっして高いとは言えません。2025年の調査では、148か国中55位。これは、物の豊かさだけでは人は幸せになれないという事実を示しています。

アメリカのハーバード大学が80年にわたり、人の「幸福」について研究した結果によれば、幸福とは「良い人間関係」であるとされています。
すなわち、「同じ志を持ち、お互いに信頼し合える他者とつながり、頼り頼られて生きること」。こうした良好な人間関係こそ、人の幸せに大きく関わるということです。
この説に触れたとき、私は真っ先に浄風会のことを思い浮かべました。「同じ志を持ち、互いに信頼し合い、支え合う」――これは、まさに浄風会のご信者の姿そのものではないでしょうか。

同じ志を持つご信者のことを、ご信心では「異体同心」といいます。異なる身であっても、心を同じくして大願を成し遂げようとする者たちの関係を表す言葉です。そしてハーバード大学の研究を踏まえるなら、この異体同心のつながりそのものに、人としての幸せが息づいているといえます。

浄風会という「ご信心の共同体」には、ほかにはない特徴がいくつもあります。
1つには、御法様の前では、ご信者は皆が平等であること。また、利害や損得を越えた関係でもあります。
2つめは、ご信者同志のつながりは、お互いがこのご信心を持ち続けるかぎり、生死を超えて未来永劫に続く関係です。
日蓮聖人が『上野殿御返事』に、「このご信心を持つ人は、たとえ他人であっても、共に霊山浄土へ参詣し、そこで巡り会うことができる」と示されているところです。かつて「ゆりかごから墓場まで」というキャッチコピーがありましたが、ご信者同志のつながりは、墓場どころではなく未来世までも続きます。
そして3つめの特徴が、折伏し合える関係であることです。さまざまなハラスメントが問題視される現代では、他人に厳しい言葉をかけにくい時代ですが、ご信者同志は相手の幸せを願う心から、ご信心の道を外れたときには折伏し合うことが大切です。
自分が折伏をするときには、どんなことであっても陰で言わず、必ず本人に直接伝えること。陰で言うとそれはただの陰口になってしまいます。また、自分が折伏を受けたときには、けっして腹を立てるのではなく、ありがたく受け止める心が肝要です。

きょうは、人にとっての幸せとは「良い人間関係」であること。そして、浄風会はその幸せを体現しているということをお話しいたしました。

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2026

あれもご利益、これもご利益

「あれもご利益、これもご利益」という感性を持つことは、ご信心を深めることにつながっていくのです

最近、若い女性の間で神社やお寺がパワースポットとしてブームだと聞きます。
昔は神仏に祈るといえば、商売繁盛・病気平癒・恋愛成就・合格祈願など、具体的な願い事を祈ったものですが、パワースポットのブームには単純な神頼みと違って、一応の合理的な理屈があるらしいのです。

それは、地球には本来強力なエネルギー(気)が存在していて、それが集中している場所がある。そこに行けば自分もそのエネルギーをもらって、癒され・自信が持て自分を変えられる、との理屈だということです。

そんな場所を神社仏閣に求めるというところは、昔からの神頼みのご利益信心と大差ないように思えます。そういうと、ご利益を求める信心は低俗な迷信のように聞こえるが、必ずしもそうではありません。
正しい宗教には、必ず正しい道理と確固たる裏付けがあり、それを正しく実践する信者には、必然的に相応の現証利益が、間違いなくあるのです。

法華経の利益には顕益(けんやく)と冥益(みょうやく)の二つがあります。顕益は形に現れた利益で、冥益は目には見えない、自覚できない利益のことです。顕益は誰もがイメージできますが、冥益は分かりにくいかもしれません。

信者の人生といえども、晴れの日ばかりではありません。雨の日もあれば風の日もあります。また、我われの周囲には、欲心を煽り怠け心を誘うものの何と多いことでしょうか。

そんな日常の中で、よくぞお題目に出会い、しかも今日まで手放すことなく来られたものだ、有難いことだと、振り返ってみてそう思います。皆さんも同じ思いでしょう。
この、お題目に出会い今日まで持ち通せたこと、これこそが実は最大のご利益なのです。
毎日毎日、お題目の大慈大悲の光に包まれていたからこそ、今の自分がある。我々は、お題目から離れない限り、間違いなく信心増進、成仏得道に向って着実に歩んでいます。でも、それはなかなか見えないし、自覚できません。これを冥益といいます。冥益こそがこのご信心の究極のご利益なのです。

しかし、自覚できない利益ばかりでは、張合いがありません。
信者とはいえ凡夫ですから、時には信念が揺らぐことがあるかもしれません。そこに、目に見えて直接実感できる顕益があると、目に見えたご利益によって、初めてお題目の尊さを実感し、信心を増進することができるのです。

どちらも大事な法華経修行の結果なのですが、冥益こそが根本のご利益です。そのことを自覚するために顕益があります。この関係をよくよく承知しておいていただきたいと思います。

当会の初代会長・秋尾先生が詠まれた歌に
「信心にいつも心が春めきて あれもご利益これもご利益」
とあります。

ご利益と思えるかどうかは、実はその人の主観ですが、このお教歌にある「何でもご利益」と思う感性が、実はとても大事です。
こういうご利益の受け止め方が、我われの信心をより深めていきます。そして、信心が深まれば、感性はますます磨かれていくのです。
そうやって一歩一歩成仏得道に近づいていく。そういう感性を、みなさんぜひ磨いていただきていと思います。

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