9月
2026年
正しい見方ができるようになる
凡夫は、常に迷いの中にあります。その中で正しい見方ができるようになるには、何が必要でしょうか。
地震ばかりではなく、このところ 「100年に一度」「50年に一度」というような災害が頻繁に起こっています。
気候変動の他にも、プラスチック問題や放射性廃棄物の処理問題もそうですが、そういう大きな問題を少し脇に置いても、我われの暮らしやその周辺を見回せば、次から次へと様々 な問題が起きています。そして難しい問題は先送りになっています。
天災・人災含めて、コロナのパンデミックもそうでしたが、この先何が起こるのか、自分の身にどんなことが降りかかってくるのか、実は全く予測不可能な世の中に我々は生きているということを、つくづく思い知らされるこの頃です。
だからこそ、 せめて自分自身はしっかり前を見て、真っ当に、真っ直ぐに生きたいと思います。
法華経譬喩品に「三界無安猶如火宅―三界は安きことなし、猶火宅の如し」という有名な一句があります。
大きな屋敷に多くの子供たちが暮らしています。建物は古く、壁は崩れ、柱は腐り、梁は傾き、そこここに毒虫や百足や毒蛇、 魑魅魍魎や悪鬼等が蠢いています。その屋敷の一角から火が出て、今にも燃え広がろうとしています。そんな危険に少しも気付かず、屋敷内では子供たちが遊びに夢中になっています。
この話は譬喩で、遊びに夢中になっているというこの子供たちとは、他でもない我われ人間のことです。
経文には次のように書かれています。
「衆生其の中に没在して歓喜し遊戯して、覚えず知らず、驚かず怖ぢず、赤厭ふことをなさず、解脱を求めず。此の三界の火宅に於いて東西に馳走して、大苦に遭ふと雖も以て憂いとせず」
2500年前に法華経に説かれたことが、そのままそっくり現代に当てはまるのです。
「凡夫顛倒」という言葉があります。
仏様が救おうとしているのは「顛倒の衆生」だと、自我偈にあります。
「顛」は、「逆さま」「迷う」「常軌を逸する」という意味です。
凡夫というものは、何もかもが逆さまで、常に迷いの中にあって、正しく物を見ることができない。それが 「凡夫顛倒」 ということなのです。
このお題目のご信心は、その凡夫の顛倒をもう一度ひっくりかえす、 逆さの逆さで、本来に戻るということです。
つまり、正しく物を見ることができるようになる。正しく見られれば、正しく生きられる。真っ当に、真っ直ぐに生きられる。このお題目のご信心とは、そういう信心なのです。
では、「正しく見る」とはどういうことでしょうか。これに三つあります。
お題目の力によって、
①知らず計らず正しく見ることが可能になる→正しく生きられる→お計らいをいただける
②ただの受け身だけではなく、 自分から積極的に正しく見ようと努力するようになる
③自分だけではない、他人の「顛倒」も見えてくる。 だから危なっかしくて見ていられないので、折伏せずにはいられなくなる。
「正しく物を見る」 とは、こういうことなのです。
信行を重ねてこういうことが身についてくる と、何があっても右往左往しなくなる。どんな場面に遭遇しても、その時の最善の対応ができるようになる。
これこそがご信心の最大のご利益、お計らいなのです。