5月
2026年
「懺悔」の本当の意味を考える
仏教において「懺悔」とはどういった意味があるのでしょうか。
仏教の言葉に「懺悔」というものがあります。
仏教では 「サンゲ」と読みますが、キリスト教では同じ文字を使って「ザンゲ」と読みます。
どちらも過去に犯した罪を神仏や人前で告白して許しを請うことですが、「懺」という字は梵語の「サンマ=許しを請う」の音写で、悔い反省する意味の「悔」を加えて「懺悔」ということばになっています。
だから「サンゲ」が本来の読み方です。
やがて「慙愧懺悔」と四字熟語で使われるようになり、その影響で懺悔だけでも濁って「ザンゲ」になったようです。
そこにキリスト教の「confession=罪の告白」の概念が入ってきました。
これに仏教の 懺悔を当てて「ザンゲ」と訳したのです。
今日でもその「ザンゲ」の方が定着し、一般的に通じる読み方になっています。
読み方のことは大した問題ではありませんが、実は仏教の奥深さが懺悔の意味の違いにも現れています。
懺悔とは過去に犯した罪を告白し反省することですが、その「過去の罪」の意味がキリスト教のそれとは大いに違うのです。
仏教で説く過去に犯した罪というのは、現世の過ちや自覚している過ちに限りません。
全く自覚のない過去世の過ちまでをも、悔いて許しを請うのです。これが仏教の懺悔の意味するところです。
自分には覚えのないことでも、仏様の教えでは沢山の罪を犯してきたという、そういう仏様の教えを素直に受け入れたとき、初めて懺悔が成り立ちます。
形ばかりの懺悔では懺悔とは言えません。
だから懺悔とは、素直に教えに従うという姿勢の表れでもあるのです。
当会のお看経は、始めから終りまで懺悔で成り立っています。
懺悔のないご信心はない。これを五悔という。
・懺悔 (さんげ)…自覚は無くても謗法罪障に塗れている、そう指摘された過去の過ちを素直に反省し、
・勧請 (かんじょう)…ご法にすべてをお任せして、
・随喜 (ずいき)…喜んで信行に励み、
・回向 (えこう)…その喜びを他人にも分け与え、
・発願 (ほつがん)…弘通の志を持って立ちあがる。
この五つが揃って、初めて本当の意味での「懺悔」になるのです。
信者ならだれもが毎日何度となく言上している誓文もその通りです。毎日懺悔しています。
懺悔するからには、口先だけで終ってはいけません。
最後の「発願」、すなわち弘通の志を持って立ち上がってこそ、初めて本当の懺悔の意味に叶うのです。
「無始以来…」と言上していることが、 言葉と行動が符合することになります。これを心得ておきましょう。