11月
2026年
回向の功徳は増幅して返ってくる ―化他こそが功徳の根源―
明治の初め、電信が発明されて間もなくのころの話です。
田舎のお金持ちの息子が、下宿しながら東京の大学に通っていました。
その息子は、たびたび父親のところに手紙で金の無心をしていましたが、今回も「靴が古くなって新しいのを買いたい」と言ってきました。
父親は、本当かどうか疑わしいと思い、金ではなく現物を送ってやることにしました。
靴を買い、それを小包で送ろうと郵便局に向かったところ、途中で線で結ばれた何本もの丸太の柱に気付きました。
「噂に聞く電信柱というのはこれか。何でも電信というものは、瞬時にどんな物でもこの線を通して向うに送ってくれるら しい。ワシもひとつ試してみよう」
父親は電柱によじ登って新品の靴を柱の一番上に引っ掛けました。
「これで届くだろう」
と用たしに街へ行ってしまいました。これでは届くわけないですよね。
ただし、話はこれで終わりではありません。
この様子を物陰からジッと見ていた浮浪者がいました。
「これはちょうどいい」と、浮浪者はその新しい靴をちゃっかり自分のものにして、代わりに自分が履いていたボロ靴を電信柱に引っ掛けて何処かへ行ってしまいました。
暫くして用を済ませた父親が戻ってきて、電信柱を見上げて感心してこう言いました。
「なるほど電信とは大したものだ。ワシが用を済ませて来る僅かの間に、もう東京まで靴を届けてくれた。そればかりか、ボロになった息子の靴まで送り返してくるなんて…」
※ ※ ※
私たちのご先祖に対する思慕・感謝の念をどうやって死者の世界に届けるか。
御聖人の教えによれば、お題目口唱に託す以外に、思いを届けることはできません。
ところが世の中の人たちは、届くか届かないか、まったく気にしていません。
お墓参りをすれば、あるいはお坊さんに頼んで法要をすれば、こちらの思いが届くと簡単に考えているのです。
電信柱に靴を引っ掛けても、向こうに届くなんてことは決してありません。どんなに深く先祖のことを思っても、その思いが届かないのでは、残念ながらそれはただの自己満足に終わってしまうのです。
思いが届いて、実際に向こうの世界でのご精霊の幸せに何らかの形で役立ってこそ、回向・法要の意味があるのです。
ところで、 法華経は「化他こそが功徳の根源」と説きます。化他とは、他人の幸せのためにお題目をお唱えすることです。
また他人にもお題目を唱えさせること、これが法華経の特徴であり命でもあるのです。
私たちは、先祖のあの世での幸せを願って題目を唱えます。これが化他です。
しかも、一方通行ではなく、必ず増幅して自分に帰ってくる。私はこれを「回向はエコー」だと申し上げています。
視点を変えると、こうも言えます。
私たちが先祖回向のためにお題目をお唱えするのは、感謝すべき先祖がいるからです。
先祖の存在が私たちに回向をさせ、お題目を唱えさせているのです。
これは、先祖の私たちに対する化他行だと見ることができます。たとえ生前それほどご信心に熱心でなかったとしても、ご先祖のお陰で皆さんはお題目を唱えることができた。
向こうの世界に往ってもなお、こちら側の私たちにお題目を唱えさせている。これは紛れもない化他なのです。
化他であればその功徳は絶大で、その功徳によって、向こうの世界での安穏が得られます。
回向が届くとは、つまりそういうことなのです。
御聖人は、人生の儚さを『白駒の影過ぎ易く、羊の歩み近づく事を知らず』と喩えておられます。
私たちもいつ向こう側に旅立つか分かりません。だからこそ、「化他こそが功徳の根源」だというこの教えをしっかりと胸に刻み、自分だけの信心から、家族や周囲の人に信心に触れさせる、お題目を唱えさせる、 そういう信心を心がけて、一日一日を大切に生きたいものと思います。